<安倍首相 メディア幹部と会食>2017年1月4日(水)しんぶん赤旗

<昨年は十数回 どう喝と介入の一方で右派との親密さ目立つ>

安倍晋三首相とメディア幹部との会食が、昨年も十数回にわたって重ねられました。安倍政権によるメディアへの露骨などう喝と介入の一方で、目立つのは右派メディア幹部との親密さです。

 昨年2月、高市早苗総務相は国会で、政府が「政治的公平に反する」と判断した放送局には停波を命じることができると答弁。首相も擁護しました。この「停波」発言に代表されるように、安倍政権によるメディアへの露骨などう喝と介入、干渉はとどまることを知りません。こうしたなか、NHKや民放の報道番組の主要キャスターが3人も降板する事態も起きました。

 その一方で、首相は昨年もメディア幹部との会食を重ね、本紙の調べでは15回に及んでいます。とくに、渡辺恒雄「読売」本社グループ会長とは、2014年新築なった東京本社ビルで、「産経」「日経」などの幹部を交え、2度にわたって会食。ゴルフ場での会食を加えると3回になります。昨年11月16日には、「読売」東京本社ビルで講演も行っています。

 各社論説幹部など固定メンバーとの年2回の会食も恒例となっていますが、昨年は別に「産経」「読売」といった右派メディアの論説委員政治部長とも、2回ずつ個別に会食。時事通信の特別解説委員とも個別に会食しています。

 権力者とメディア幹部の会食は、「権力の監視」というジャーナリズムの根幹をゆるがす問題として批判をあびてきましたが、改まる気配は一向にありません。

安倍首相とマスメディア幹部との会食(2016年)

 日時    会食相手(会食場所)

 1・21  渡辺恒雄「読売」本社会長、橋本五郎・同特別編集委員、今井環・NHKエンタープライズ社長、清原武彦「産経」相談役、ジャーナリスト・後藤謙治、芹川洋一「日経」論説委員長、評論家・屋山太郎読売新聞東京本社ビル)

 1・29  西沢豊・時事通信社社長、田崎史郎・同特別解説委員、渡辺祐司・同編集局長、阿部正人・同政治部長(東京・飯田橋のグランドホテル内、フランス料理店「クラウンレストラン」)

 2・12  阿比留瑠比「産経」論説委員、有元隆志・同政治部長(東京・赤坂エクセルホテル東急内、レストラン「赤坂ジパング」)

 2・18  田中隆之「読売」政治部長ら(東京・霞ケ丘町の日本料理店「外苑うまや信濃町」)

 3・9   芹川「日経」論説委員長、内山清行・同政治部長(東京・新橋の日本料理店「京矢」新橋店)

 5・16  大久保好男・日本テレビ社長、秋山光人・日本映像社長らマスコミ関係者(東京・銀座の中国料理店「飛雁閣」)

 6・2   石川一郎・BSジャパン社長付、小田尚「読売」論説主幹、粕谷賢之・日本テレビメディア戦略局長、島田敏男NHK解説副委員長、曽我豪「朝日」編集委員、田崎時事特別解説委員、山田孝男「毎日」特別編集委員(東京・京橋の日本料理店「京都つゆしゃぶCHIRIRI」)

 8・16  日枝久フジテレビ会長〔他に加藤勝信1億総活躍担当相、岸信夫外務副大臣ら〕(山梨県山中湖村のホテルマウント富士内、宴会場「メヌエット」)

 9・1   渡辺「読売」本社会長、清原「産経」相談役、福山正喜・共同通信社社長ら(読売新聞東京本社ビル)

 10・17 阿比留「産経」論説委員兼政治部編集委員ら(「赤坂ジパング」)

 10・21 田中孝之「読売」編集局総務、前木理一郎政治部長(東京・赤坂の日本料理店「古母里」)

 12・2  喜多恒雄「日経」会長、岡田直敏・同社長ら(東京・内幸町の帝国ホテル内、宴会場「梅の間」)

 12・3  渡辺「読売」本社会長〔他に御手洗冨士夫経団連名誉会長ら〕(神奈川・茅ケ崎市のゴルフ場「スリーハンドレッドクラブ」内のクラブハウス)

 12・6  朝比奈豊「毎日」会長、丸山昌宏・同社長ら(東京・元麻布の日本料理店「東郷」)

 12・20 石川・BSジャパン社長、小田「読売」論説主幹、粕谷・日本テレビ解説委員長、島田NHK解説副委員長、曽我「朝日」編集委員、田崎時事特別解説委員、山田「毎日」特別編集委員(日本料理店「京都つゆしゃぶCHIRIRI」)

 


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<反省なき外交では>

真の和解と友好を築くことはできない=

  日本共産党 志位和夫委員長が談話

 

  

一、安倍首相の真珠湾訪問で何よりも問われたのは、首相が過去の日本の戦争をどう認識しているのか――その歴史観、戦争観だった。しかし、首相がのべた所感では、「戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない」というだけで、過去の戦争に対する認識は一切語られなかった。

 75年前の真珠湾攻撃は、中国侵略戦争の行き詰まりを、戦線をアジア・太平洋全域に広げることによって打開しようとした、文字通りの侵略戦争である。日本の首相が真珠湾を訪問するというのならば、アメリカ国民に対してだけでなく、アジアの諸国民、そして日本国民に、甚大な惨害をもたらしたアジア・太平洋戦争に、真摯(しんし)に向き合い、この戦争をどう認識し、どう反省しているかを、語るべきだった。

 一、安倍首相は、2013年12月の靖国神社参拝に対して、内外からの厳しい批判が集中したのち、過去の戦争を美化する「歴史修正主義者」としての本心を隠しながら、「『戦後』を過去のものとして終わらせる」ために腐心してきた。15年8月の「安倍談話」に続く、今回の真珠湾訪問は、そうした試みの一つである。

 しかし、過去の日本の戦争を「間違った戦争」とは決して認めようとしない(15年5月・党首討論)反省なき外交では、世界とアジアの諸国民との真の意味での和解と友好を築くことはできない。

 一、安倍首相が所感でもっぱら強調したのは、戦後の一時期における米国の対日政策を礼賛することで、日米軍事同盟を「希望の同盟」として全面的に美化し、「いままでにもまして、世界を覆う幾多の困難に、ともに立ち向かう」と誓約することだった。

 しかし、アフガニスタン戦争、イラク戦争のような米国の侵略と覇権の戦争に、自衛隊が安保法制=戦争法によって参戦し、「殺し殺される」道を進むことのどこに「希望」があるのか。沖縄での米軍基地問題が象徴しているような対等な主権国家間の関係とはいえない異常な従属体制を放置したまま「希望」が語れるか。

 異常な従属を特徴とする日米関係の現状を変革し、対等・平等・友好の関係を築くことにこそ、21世紀のあるべき日米関係の未来像がある。

 一、日本共産党は、日本外交を、過去の歴史に誠実に向き合う外交、憲法の平和主義をつらぬく外交、自主独立の外交に切り替えるために力をつくす決意である。

<真珠湾訪問に公開質問状 安倍首相が試される不戦の本気度>日刊ゲンダイ16/12/26

やはり、こういう展開になった。26日、ハワイ・真珠湾訪問に出発する安倍首相に対し、日米などの歴史学者ら50人以上が公開質問状を発表した。真珠湾を慰霊するなら、中国や朝鮮半島、アジア諸国の戦争犠牲者も慰霊する必要があるのではないか――とした上で、国会で「侵略の定義は定まっていない」と答弁している安倍首相の歴史認識も問う内容だ。

 質問状に名を連ねているのは映画監督オリバー・ストーンや、核廃絶に取り組むアメリカン大のカズニック教授、現代史研究で知られる関東学院大林博史教授ら。安倍政権に対して歴史認識を質す文書が出るのは、昨年5月に欧米や日本の著名な歴史学者ら187人の声明が出て以来、2度目だ。

 何せ、太平洋戦争を「自存自衛のための解放戦争だった」と正当化している保守層を支持基盤に持ち、かつ、東京裁判にも否定的な見方を示している安倍首相が、“象徴的”な場所ともいえる真珠湾を慰霊訪問するのだ。安倍首相が先の大戦に対して日本の首相として本気で哀悼の意を表するというのであれば、同じように旧日本軍が中国やアジアで繰り広げた侵略戦争で亡くなった犠牲者を慰霊するのは当然――と考えるのもムリはない。公開質問状は、そんな安倍首相の“本気度”を試していると言ってもいい。

  となれば、ガ然、注目されるのは、現地時間の27日午後(日本時間28日午前)にオバマ大統領と一緒にアリゾナ記念館を訪れる安倍首相の口から、どんな言葉が飛び出すかだ。

「謝罪すれば、保守層から総スカンを食らうし、上っ面だけの曖昧な言葉でお茶を濁せば、イエス・ノーがハッキリしている米国民は『わざわざ何を言いに来たのか』と反発する。恐らく最近、多用している『未来志向』という言葉を使い、『日米同盟の強化』や『不戦の誓い』を表明するつもりだと思います」(外交ジャーナリスト)

 内容次第では、安倍首相がナ~ンも考えていなかったことがバレバレになるのは間違いない。他方、何を言おうが、今後、中国が「真珠湾に行ったのであれば、北京の抗日戦争記念館にも来るべきだ」と、今以上に態度を硬化させるだろう。すべて「無定見外交」が招いたツケだ。

「全く意味のない、中身のない真珠湾訪問になるでしょう」(元外交官の天木直人氏)

 日ロ首脳会談に続く「失敗外交」になりそうだ。

<琉球新報社説>北部訓練場過半返還 「負担軽減」にならない 県民の力で圧政はね返そう16/12/23

誰のための返還なのか。米軍と安倍政権が仕組んだ欺瞞(ぎまん)に満ちた茶番と断じるほかない。

 米軍北部訓練場過半の返還を記念した式典で、菅義偉官房長官は「今回の返還は本土復帰後最大の返還であり、沖縄の米軍施設の約2割が返還され、沖縄の負担軽減に大きく寄与する」と強調した。
 在沖米軍基地機能強化による沖縄の負担増を、返還面積の広さで覆い隠し「負担軽減」と偽装することは断じて認められない。
 2016年12月22日を新たな「屈辱の日」に終わらせてはならない。真の負担軽減を勝ち取る「出発の日」として位置付けたい。

 新基地建設論理と矛盾

 菅氏は式典で、北部訓練場約4千ヘクタールの返還の起点を1996年の日米特別行動委員会(SACO)合意とした。沖縄戦までさかのぼるべきだ。
 県民は本土の捨て石にされた悲惨な沖縄戦に巻き込まれた揚げ句、土地を米軍に強制的に接収された。その事実を踏まえれば軽々に「負担軽減」とは言えないはずである。
 菅氏は「20年もの歳月を経てようやく返還を実現することができた」と述べた。米軍が「使用不可能」とする土地が返されるまで多くの年月を要したことを、まず謝罪すべきではなかったか。
 東村高江の集落を囲む六つのヘリパッド移設が北部訓練場過半返還の条件である。オスプレイは既に訓練を繰り返している。夜間も騒音が激化し、睡眠不足になった児童が学校を欠席する事態を招いたこともある。
 高江の状況を見れば、ヘリパッド移設を条件にした今回の返還がまやかしの「負担軽減」であることは明らかだ。
 政府は米軍普天間飛行場の危険除去のため、人口の少ない名護市辺野古移設を進めるとする。だが、北部訓練場ではそれと逆のことをやっている。山林にあるヘリパッドを集落近くに移すことは、辺野古新基地建設の論理と矛盾する。
 菅氏は「ヘリパッド移設で、これからもご迷惑をお掛けする」とし、住民に負担を強いることを認めた。これが安倍政権の言う「負担軽減」である。
 稲田朋美防衛相は式典で「オスプレイ事故を受け、集落上空を避けるなど、地元の生活環境への配慮が十分得られるように取り組む」と述べた。期待できない。
 防衛省は米軍に、民間地域でのオスプレイの危険なつり下げ訓練の中止を要請した。だが、米軍は訓練を強行した。日本政府に米軍の危険な訓練を止める力はない。

 知事欠席は当然だ

 空席が目立った返還式典とは対照的に、政党や市民団体でつくる「オール沖縄会議」主催のオスプレイ撤去を求める抗議集会は熱気であふれた。
 翁長雄志知事もうちなーぐちで決意を述べ、「皆で心を一つにして子や孫のため、どうしても負けてはならない。辺野古新基地ができなければ、オスプレイの配備も撤回できる。必ず造らせないように頑張ろう」と呼び掛けた。
 基地の過重な負担への不安が高まる中、知事が県民に粘り強い運動を求めたことに、県民の多くが勇気付けられたはずだ。
 菅氏は返還式典後、「基地の負担軽減を掲げる知事が出席できないのは極めて残念だ」と述べた。知事が式典を欠席した重みを受け止められないとあっては、沖縄基地負担軽減担当相の資格はない。
 知事が欠席したのは当然だ。それに不快感を示すこと自体おかしい。オスプレイ墜落事故直後に返還式典を強行することで、県民を愚弄(ぐろう)したことに気付くべきだ。
 沖縄が求めていることは子どもたちが健やかに育つ生活環境の保障である。今回の返還が安全な暮らしにつながることはない。抗議集会参加者だけではない。多くの県民がそのことを知っている。
 沖縄の未来を切り開くのは県民である。県民の力で圧政をはね返すことを改めて誓いたい。

<社説>オスプレイ飛行再開 欠陥機には許されない 2016/12/18/06:02<琉球新報

民間航空機事故では決してあり得ないことが、米軍機には許されていいはずがない。

 墜落事故を受けて飛行が停止されている垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを、19日にも米軍が飛行させる考えを日本政府に伝えた。
 今回の墜落で明らかになったのは、オスプレイが欠陥機であるということである。
 国防研究所(IDA)でオスプレイの主任分析官を務めたレックス・リボロ氏は、米軍が説明する「不時着」ではなく「墜落」と断定している。「ヘリモードで補給することができないという事実は、予期されなかった航空機の欠陥である」と述べ、オスプレイの新たな構造的欠陥であると指摘する。同じような墜落事故が再び発生するとも強調している。
 沖縄の上空で欠陥機の飛行を再開させれば、人命に関わる重大事故が起きかねない。飛行再開に強く抗議するとともに、沖縄からオスプレイの早配備撤回を求める。この欠陥機を運用する在沖米海兵隊の全面撤退、欠陥機が使用する辺野古新基地建設断念と北部訓練場に整備された六つのヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の使用を禁止すべきだ。
 日本政府は情報提供と再発防止、安全が確認されるまでの飛行停止を米国に求めているが、それでは生ぬるい。米側に配備撤回を求めるべきである。
 これまでにも米軍は県内で発生した米軍機墜落事故で、2日から2週間の短期間に飛行を再開させている。2004年の沖国大米軍ヘリ墜落事故では、9日後に同型機が普天間飛行場を飛び立った。今年9月のハリアー墜落事故では、県民の飛行停止要求を無視し、墜落原因が明確でないのに約2週間で同型機の飛行を再開した。
 1972年の日本復帰後、県内での米軍機墜落事故は48件目だ。1年に1回以上落ちる計算になる。沖縄の空は安全・安心とは言い難い。米国や他府県で事故原因や再発防止策を示さないまま飛行再開が許されるだろうか。
 軍事優先で飛行を再開させるのは、県民の生命・財産を軽視する二重基準にほかならない。
 米軍は墜落したオスプレイの残骸を回収し、日本側の捜査協力申し入れを実質的に拒否した。事故の全容を独自に捜査できないのでは主権国家とはいえない。

<社説>「辺野古」県敗訴へ>自治否定は禍根残す 2016年12月13日 06:01

▶民主主義守る闘いは続く

民主主義と地方自治を踏みにじるなら、司法の正義は失墜する。歴史に禍根を残す国追随の司法判断が確定しようとしている。
 翁長雄志知事による名護市辺野古の埋め立て承認取り消しを巡り、国が起こした違法確認訴訟で県が敗訴する見通しとなった。最高裁第2小法廷は一審判決を見直すために必要な弁論を開かず、20日に上告審判決を言い渡す。
 立法、行政、司法の三権が均衡を保ち、行き過ぎた権力行使に歯止めをかける-。三権分立の中で司法に課された役割をかなぐり捨て、民主主義と沖縄の自治を否定する判決がこのまま確定していいのか。重大な疑念を禁じ得ない。

「主従」に落とし込む

 米軍普天間飛行場に代わる名護市辺野古への新基地建設は、地方自治体と首長の権限を巡り、県と国が全面対立する構図を生んだ。
 1999年の地方自治法改正により、国と地方自治体が独自の権限を持ち、対等な関係になった。地方が譲れない重大問題で国に対抗する論理を構築して渡り合い、国も司法もそれを無視できない時代が到来しているのだ。辺野古基地問題はその象徴であろう。
 ところが、福岡高裁那覇支部が下した一審判決は地方分権に逆行し、国と県をかつての「主従」の関係に落とし込んだ。当然ながら、多くの行政法学者が最高裁での見直しは不可避と主張してきた。国土交通相の是正指示に従わない知事判断を違法とした判決は司法の公平性に背を向け、国の主張の引き写しと見なすしかない。
 普天間飛行場の移設先を「辺野古が唯一」とする安倍政権の主張を追認し、高裁判決は辺野古埋め立てをやめれば「普天間飛行場の被害を継続するしかない」というどう喝さえ繰り出した。
 埋め立てによって米軍基地ができる可能性がある40都道府県の全知事が拒んだ場合を想定し、判決文はこうも記した。「国防・外交に本来的権限と責任を負うべき立場にある国の不合理とは言えない判断が覆されてしまい、地方公共団体の判断が優越しかねない」
 安全保障などで国と地方が対立した場合、自治体の意向など全く考慮することなく、国がやりたい放題できる論理構成だ。全自治体に刃(やいば)が向く危うさがある。
 幾多の選挙で示された辺野古ノーの民意を無視し、強権行使一本やりの安倍政権と同調した乱暴な論理がちりばめられている。
 基地の重圧にあえいできた沖縄の戦後史に思いをはせることもなく、独断と決め付けによる事実誤認が多い判決が無批判に最高裁で確定することは許されない。

権限駆使しはね返せ

 上告審判決を待って、安倍政権は停止していた辺野古での工事再開に突き進むとみられる。翁長知事や県民世論に圧力を強め、諦念を植え付けようと躍起になるのは目に見えている。沖縄は一層厳しい局面に立たされる。
 だが、沖縄戦の住民犠牲と米軍統治下と日本復帰後も続く米兵らによる事件・事故を踏まえ、人権保護と環境保全とは相いれない新基地建設に毅然と反対を貫く民意の正当性はいささかも揺るがない。徹底抗戦は続く。
 最高裁判決が出ても、翁長知事は「新基地建設をあらゆる手法で阻止する」と明言している。新基地の設計・工法の変更申請に伴う知事の承認権限の行使がある。翁長知事が申請を認めなければ、申請のたびに工事は止まる。
 沖縄防衛局は大浦湾のサンゴを移す特別採捕許可を得る必要があるが、生態系に潰滅的打撃を与えると主張する県が許可しない可能性が濃厚だ。名護市の権限も多くあり、国が意のままに新基地建設を進められない要素は多い。
 最高裁判決まで1週間ある。戦後71年、県内移設条件付きの普天間返還合意から20年余を経ても、辺野古の海の埋め立てを阻んできた民意の力を再確認し、これからも続く試練に立ち向かう県民の気概を研ぎ澄ましたい。

<社説>飛行差し止め破棄 国民守らぬ司法は退場せよ>琉球新報16年12月11日 06:02

最高裁は国民を守る「人権のとりで」の責務を放棄した。神奈川県の厚木基地騒音訴訟で一、二審が命じた自衛隊機の飛行差し止めを破棄した最高裁判決に、強い怒りと失望を禁じ得ない。

 「せめて人が眠る夜間の飛行はやめてほしい」というのが住民の切実な願いである。一、二審は訴えを真剣に受け止め、自衛隊機の午後10時~翌午前6時の飛行差し止めを命じた。司法の良心が示されたのである。
 これを最高裁は破棄し、夜間から早朝の飛行を容認した。しかも最高裁は一、二審判決が認めた「将来分の賠償」も否定した。国民の被害救済に向かいかけた米軍・自衛隊基地騒音訴訟の流れを大きく後退させ一、二審が示した「司法の良心」をも踏みにじった。
 一、二審判決も決して満足な内容ではない。米軍機の飛行差し止めは認めなかったからだ。しかし最高裁は米軍機だけでなく自衛隊機の夜間・早朝飛行をも容認した。司法の「全面敗北」である。
 最高裁判決は言い渡しとともに確定し、米軍・自衛隊機の差し止め要求は道を閉ざされた。将来分の賠償の否定を含め、全国の基地騒音訴訟に及ぼす影響は大きい。
 最高裁は「睡眠妨害の程度は深刻」と認定しながら「防衛相の広範な裁量」を理由に自衛隊機の夜間・早朝運航を容認した。
 国民の被害救済よりも防衛相の裁量、自衛隊機運用を重視し、「人権のとりで」として国に対峙(たいじ)すべき三権分立の尊厳、司法の独立を自ら否定したに等しい。
 国民、司法は「米軍・自衛隊基地の運用に口を挟めない」と言うがごとき最高裁の判決は、「高度の政治性を有する安保条約は司法判断になじまない」とする統治行為論に沿うものだ。
 統治行為論は米軍駐留を違憲とする一審判決を破棄した1959年の「砂川事件最高裁判決に始まる。だが同判決は、当時の最高裁長官が日米両政府の圧力を受けて下したことが米公文書で明らかになっている。
 政治に司法が追従する流れの中に今回の最高裁判決がある。嘉手納爆音訴訟の裁判長だった瀬木比呂志氏は「裁判所は国家権力の番人と化している」と批判する。
 国民には最高裁判所の裁判官を罷免する国民審査の権利がある。国民の人権を守らぬ裁判官は退場させるしかない。小池裕裁判長らの名前を記憶したい。